広報クドウが研究紹介!Vol.3:シルク工学が紡ぐ縁

紹介記事3回目はシルクを医用材料の素材として利用する研究を続けてきた新留先生の話題です。

生物環境農学国際研究センター
分子農学部門 新留 琢郎

新留先生がシルクを利用するようになったきっかけは、10年前の
佐々木誠先生(現:熊本大学大学院先端科学研究部・特任准教授、
株式会社チャーリーラボ・代表取締役)との出会いに遡る。当時、
佐々木先生は、小さなベンチャー企業に勤務していて、「ステント
という医療機器を新留先生と共同開発していたのだ。

ステントとは、例えば、動脈硬化症の治療に使用され、狭窄している
血管部位を拡張するために入れるものである。1977年に初めて
臨床応用されたが、その後、血管をうまく拡張するには、血管の
曲がりに対応しなければならず、素材はどんなものが適切なのかなど、
次々に生まれた課題を、さまざまな技術革新によって解決し、現在に
至るまでも開発が続けられている。

第一世代のステントは単純にステンレススチールあるいはコバルト
クロム合金が剥き出しのものであった。しかしながら、これら金属が
体にとって異物であるため炎症が起き、血管壁が肥厚し再狭窄
起きるという問題があった。第二世代のステントとして、金属表面を
薬剤入りのポリマーで覆ったもの(薬剤溶出性ステント)が
開発された。

このポリマー層から出てくる薬剤には細胞の増殖を抑える効果が
あるため、再狭窄の頻度は大きく減少した。しかしそれでも、金属製の
ステントが永久に血管内に残るため、遅発性の血栓症といった問題が
残されていた。

新留先生と佐々木先生が出会った頃のステント業界は、血管内で徐々に
吸収される、最終的には無くなってしまう素材でステントを
作れないかと世界中が考えていた時期である。これが第三世代の
ステントである。この時、先生たちが着目したのが、生体吸収性の高い
金属であるマグネシウム合金と、拒絶反応が少ないシルク
タンパク質を使った表面コートである。

ステントの表面コートというのは、化学合成したポリマーが一般的で、プラスティックに近い素材である。さまざまな合成ポリマーが検討
されていたが、薬剤の放出が早過ぎたり、生体の適合性が悪かったりと、どれも一長一短である。これをシルクタンパク質に変えられないかという
アイデアだ。

そもそもシルクってなにからできているのだろう?と思う方もいるだろう。シルク絹糸)とは、蚕の繭を構成する動物性繊維状タンパク質
あり、内側のフィブロインを外側のセリシンで囲うカタチで形成されている。

本主役は、セリシンを取り除いたフィブロインのほうである。私たちもタンパク質でできているので、相性は良さそうである。それに、シルクは
昔から衣服の繊維として使用されているため、体の拒絶反応が低いのでは、と期待されている素材でもある。加えて、2000年に、農林水産省蚕糸・
昆虫農業技術研究所(現、独立行政法人農業生物資源研究所)で、蚕の遺伝子を組み換えることに成功したという発表があった。つまり遺伝子
操作によってシルクフィブロインに新たな機能を加え、より性能の高いステントをつくることができるのではと期待が高まり、シルク工学に
着手する立場としては追い風が吹いていたのである。

多くの試行錯誤を続け、実現に向け技術開発を行なった。そもそも、合成ポリマーは完全に
工場等で生産できるが、シルクは、蚕が作るタンパク質だ。蚕も生き物だし、桑の葉も
生き物である。蚕が桑の葉を食べ、繭になってその糸を人間が精製し、そこからタンパク質を
加工するのである。繭になるまでの行程は普通の工場で作るものとはほど遠いのだ。

そして、人体の中に入れる素材として扱うには、無菌でなければならない。つまり、
ステントの表面コートをシルクフィブロインで行う技術開発だけではダメで、無菌で蚕を育て
なければならないのである。開発を考え始めた当初は、そこについてあてがあるわけではなかった。

しかし、偶然にも、熊本の山鹿市で人材派遣会社の株式会社あつまる
ホールディングスが廃校を利用し、無菌シルク生産工場を作るという
プロジェクトが始まったのである。始まった時には、新留先生とは
まるで関係がなかったのだが、いろいろな繋がりで山鹿のシルク工場と
何か共同研究をという話になった。願ってもない話である。株式会社
あつまる山鹿シルクは2017年から、周年無菌養蚕の大規模プラント
として稼働を開始した。そこから生まれる無菌シルクを応用するのが、
新留先生と佐々木先生の現在の仕事である。新留先生の研究室では
シルクフィブロインを医療材料として利用したり、新たな機能性
シルクを開発するような研究を株式会社あつまるホールディングスから
の寄附研究室「あつまる新シルク蚕業開発共同研究分野」で
進めている。また熊本大学発ベンチャー「株式会社チャーリーラボ
を佐々木先生が率いる形で、共同で研究開発を行っている。

 

材料供給が確保された現在は、繭からシルクフィブロインを抽出し、パウダー状、液体状、ゲル状にすることが可能となった。そうした材料を
起点として、シルクフィブロインをさまざまなものに加工できるようになってきている。

2人の出会いから10年近くが経ったが、ステントをシルクフィブロインでコートすることは、マグネシウム合金の腐食速度を抑制し、薬剤もゆっくり
放出できることがわかり、また、血管の細胞とよく馴染み血小板が接着しにくいといった生体適合性も高いことを証明することができた。
現在、基礎技術はほぼ確立され、実用に向かって進んでいるところだ。

無菌で培養された蚕から抽出されるシルクフィブロインは、人体への拒絶反応も少なく、医療素材としての応用が可能だ。シルクタンパク工学が
生み出す新素材で、傷の再生の足場素材、癒着防止の緩衝材、止血剤などの開発を進めている。蚕を中心に、農業、医療と縁がどんどんと
つながってきた。次は水産業とのつながりを模索し、シルク工学と同様に熊本での展開を考えているところである。