広報クドウが研究紹介!Vol.4:基礎研究から世界初のお酒を生み出す
紹介記事4回目はRNAを研究してきた谷教授が、研究材料である分裂酵母を使って新しいお酒を作ったという話題をお届けします。
生物環境農学国際研究センター
基礎研究部門 谷 時雄
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皆さん、世に出回るお酒は、全て出芽酵母という生物の発酵によって作られて
いることをご存知でしょうか?
もとい、「発酵」は人類が古くから使いこなしてきた技術でもあり、
発酵食品は食卓にのぼることも多いと思います。例えば、納豆、お酢、味噌、
お酒、ヨーグルト、チーズ、キムチなどが発酵食品です
発酵というのは、呼吸の仲間です。通常多くの生き物は、酸素があれば酸素を
使いながら、糖を分解し、エネルギーを取り出し、二酸化炭素を排出して
います。酸素がない場合に、糖を分解してエネルギーをほんのちょっぴり
取り出す反応を行うのが発酵と呼ばれる反応です。糖を分解して、できて
くるものが、アルコールであれば、アルコール発酵、乳酸であれば乳酸発酵と
呼びます。人間は酸素がなければ生きていることはできませんが、乳酸発酵の
機能は持っています。全速力で走った際に筋肉に乳酸が貯まるという話を
聞いたことがある人も多いでしょう。これは酸素の供給が追いつかず、
乳酸発酵だけでエネルギーを取り出す反応が盛んに行われた結果です。
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もちろん、反応の結果、できてくる物質が人間にとって好ましいものであることも発酵と言える条件です。発酵と同じようにある生物にとって
必要な反応でも、人間にとっては有害なものを反応の結果に生み出している場合は腐敗と呼びます。つまり、人類は、偶然に起きる生物の反応を
うまく選び取って、改変し、生活に取り入れてきたと言えるのです。
お酒の原料は、日本酒ならお米、焼酎なら麦・さつまいも・米、ビールなら麦芽とホップ、ワインであれば葡萄です。いずれも原料を出芽酵母が
発酵させることで作っています。発酵を利用したパン作りでも同じ出芽酵母が活躍しています。酵母という生き物は、単細胞のカビの仲間です。
アルコール発酵を行うこと・細胞壁を持つこと・単細胞であること、などが酵母の仲間の条件です。酵母は至る所に生存していることは、最近の
天然酵母パンなどからも推測できるかもしれません。もちろん、栄養源の糖がある、果物の表面・樹液・花の表面などにはたくさんの酵母が生存
しています。お酒も、そもそも葡萄や米についていた酵母が反応して、偶然生まれてきたものだと考えられています。酵母は単細胞ですが、
バクテリアなどの原核生物とは異なり、私たちヒトを含む真核生物の単細胞です。古くから人類との付き合いがあったため、その取り扱いに長け
ていたこともあり、生命科学の現場で、モデル生物として活躍しています。真核細胞の基本的な仕組みを学ぶには素晴らしいモデルとなるのです。
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研究室では、出芽酵母と分裂酵母という2つの酵母群が使われて
います。出芽酵母は、食品の発酵に広く使われている酵母です。
分裂酵母Schizosaccharomyces pombeもアフリカの噛み酒の中から
見つかった酵母の一種で、出芽酵母が、増える際にぽこっと小さな
細胞を出芽するのに対して、通常の分裂のように2つに分裂する
という特徴を持ちます。分裂酵母と出芽酵母は実際にそのゲノム配列を
比較するとかなり古くに分岐したと考えられており、遠い親戚という
感じではなく、別種なのです。分裂酵母が見つかったきっかけは
噛み酒なのに、世界で作られているお酒は全て出芽酵母を使って
います。蔵付き酵母など、昔からその蔵でしか作れないお酒というのは
知られていたように、出芽酵母の株の違い(少しだけゲノム配列が
違う)で、お酒の風味や香りが大きく変わると言われています。世界の
誰かが分裂酵母でお酒を作ろうと試みたかは不明ですが、谷先生はある
偶然からお酒の開発を試みたのです。
谷先生は分裂酵母を使った基礎研究をしています。分裂酵母は現在4種が知られていて、日本の
イチゴから昭和3年に分離された分裂酵母ジャポニカス(Schizosaccharomyces japonicus)も
使っています。遺伝子が働くときには、DNAからm RNAが合成され(転写)、それをもとに
アミノ酸に変換されてタンパク質が合成される(翻訳)という基本的な生命の仕組みが
あります。mRNAは細胞の中を核から細胞質へと輸送されるのですが、その輸送に関する研究を
分裂酵母で行っていました。分裂酵母は出芽酵母とは違って、遺伝子の構造がヒトなどと同様に
少し複雑です。出芽酵母では遺伝子構造の単純さゆえ分からないことも、分裂酵母では分かる
からです。また、分裂酵母は出芽酵母に比べ、細胞が大きく、蛍光タンパク質を用いた
観察などにも向いています。
分裂酵母を実験で使用する際には、大量に培養するということをよく行います。26℃の
恒温槽で、一晩、酵母と培養液をフラスコなどに入れて酸素が供給されるよう振盪培養します。
ある朝、先生が出勤すると、培養器が故障して、振盪が止まっていました。その時、フラスコを
開けると、ぷーんと良い香りがしたそうです。酸素供給が止まり、アルコール発酵が起きたの
です。分裂酵母を使えば今までにないお酒ができるかも・・・と先生はその時に思ったそうです。
その出来事から熊大発のお酒を作ろうかなと思い立ち、プロジェクトが始まりました。
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まずは分裂酵母には発酵能力があるかを確かめました。先生はパンを作ったそうです。発酵能力はあまりなかったようですが、とりあえず、気泡の
入ったパンはできました。
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では、いよいよお酒です。皆さん、美味しいお酒、お酒の違いって
なんでしょうか。日本酒は全て米を原料としていますが、いろいろな
種類があります。これらは風味が違うのです。その違いを
生み出しているのはもちろん原料(米の種類や研磨率の違い)の違いも
ありますし、製造工程の違い(温度、時間など)も含まれる
でしょう。しかし、同じ原料・同じ工程を辿っても、使用する酵母の
株が違えば驚くほど変化することがわかっています。株の違いは、
親戚程度の違いと考えてください。さて、親戚ではなく、同じ発酵
能力のある分裂酵母では、どのようなお酒ができるのでしょうか。
焼酎や日本酒の香りの特徴を記す言葉として「吟醸香」という言葉が
あります。日本酒や焼酎などのこれまでの研究から、3種類を用いて
お酒の香りの特徴を説明します。リンゴ様吟醸香(大吟醸の香り)、
バナナ様吟醸香、バラ様吟醸香の3種類です。それぞれその香りを
発する物質も特定されており、それらが含まれる濃度、バランスに
よってお酒の吟醸香は数値化できます。
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研究室での第一歩は、ぷーんと良い香りを放った分裂酵母の遺伝子に
さらに変異を加え、香り物質を多く生産する株を生み出すことです。
例えばリンゴ様吟醸香の正体はカプロン酸エチルという物質です。
最終的には、カプロン酸エチルの生産量が多い株を作り出したい
訳ですが、これをどうやって選抜するか。変異を加えたり、それらから
目的の酵母の株を選抜するといった操作は研究の基本です。今までの
ノウハウの蓄積が当然役に立ちました。分裂酵母がカプロン酸エチルを
生産する際には、さまざまな物質を酵素によって順番に少しずつ変化
させます(代謝)。まずは、その反応の途中段階を邪魔しても生き残る
株を選抜しました。生き残った株の中には、通常のカプロン酸エチル
合成経路とは別の経路を用いてカプロン酸エチルを作っている株や、
邪魔をしているにもかかわらずそれを乗り越える変異が酵素に起きて
いる株があるかもしれないからです。少し難しいので、図版を参照して
ください。1億個の分裂酵母ジャポニカスの遺伝子にランダムに変異
をいれ、選抜し、36株が生き残りました。その株の中にカプロン酸
エチルを多く産出する株がいるか、その香り成分を調べました。
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この段階で、アルコール発酵量や増殖速度の良い2つの株に候補を絞り(CR11とCR28)、Kumadai-T11号、Kumadai-U28号と名付け、
まずは少量の焼酎を熊本県産業技術センターの協力を得て作ってみました。培地育成での香りではなく、実際にお酒の原料をもとにした発酵で
生じる香りを調べる必要があるからです。結果は、2株が、通常の酒造りに使われている出芽酵母よりも、それぞれの香り成分を多く産出
していることがわかりました。お酒の官能試験というのは、味、香り、総合の3つのポイントで評価されるのですが、Kumadai-T11号は、同じ
材料、同じ工程で作った出芽酵母のお酒よりも評価が高かったのです。
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そうとわかれば、実際に販売をできるような仕込みに挑戦です。
お酒は酒造法があるため、実験室では作れません。酵母は目に見えない
生き物です。製造工程に、出芽酵母とは違う分裂酵母を入れたら、
完全にその分裂酵母を取り除くことはできるのか?蔵に生息する元々の
出芽酵母がいなくなるのでは?など、受け入れる酒造メーカーに
すると、これまで安定して供給してきたお酒の味が変わるかもしれない
ので、容易なことではありません。Kumadai-T11号は簡単には
増えない(分裂はできるけれど胞子にはならない)のですが、頭では
理解できても、万が一と思うのが通常だと思います。そんな中、熊本の
天草酒造さんが依頼に協力してくれました。そうやって1年かけて
作った世界初の分裂酵母ジャポニカスKumadai-T11号株で
醸造した芋焼酎が、昨年の春に出荷されました。その名も「池の露
湯島 The highest Yeast」です。あっという間に売り切れたとの
こと。出芽酵母では出せない香りがするそうです。また春先に出荷の
予定だそうですので、ぜひ見かけたらお買い求めください!
分裂酵母Kumadai-T11号で美味しいお酒ができたので、その後、熊本県のクラフトビールメーカー
(ダイヤモンドブルーイング)とも提携が叶い、小仕込み試験の真っ最中だそうです。ビールで吟醸香、
一体どんな美味しさなのでしょうか。試作品はフルーティな香りが醸し出されていて、それはそれは美味しかった
そうです。クラフトビールは春先に市販化を目指しているそうです。
最初にお伝えした通り、全てのお酒が出芽酵母で作られています。これを分裂酵母にすることで、お酒の風味の
幅が一気に増えるのです。未知の風味を求めて、谷先生とその研究室では、香りの分析、新しい酵母株の作成に
励んでいます。
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